鬱でカスで社畜で時間と自由と幸せ

雑記

どうも皆さんこんにちは。
メンタルミニマリストのあさひ@neruneko001と申します。

これからも更新していく予定です。
出来るだけすべて書いてます。

プロフィール

 

幼少期の自分

小さい時の僕は、幼稚園の頃から周りを見て行動をしていた。
周りで楽しく遊ぶ子供達を見て「何が面白いんだろう」とか思って、一応合わせるような子供だった。

両親は共働きだったので幼稚園には必ず毎日おばあちゃんが連れて行ってくれていた。
家族は三人兄弟の一番下の僕のことを可愛がってたが、親は仕事で忙しかったため、あまり家族で外出した記憶はない。

その代わり毎週父親がどこかに連れて行ってくれたので父親とは今も友達というか何でも話せる仲。
自分はわがままで、欲しいものは手に入れないと気が済まないタイプだったので家族の中では許されるほうだった。

小学校の時から孤独を深く感じる性格だった。
「なんで自分は生きてるんだろう」とか考えてた。
その頃からものごとを多く考える癖はあったと感じる。

その時から常に一緒にいたのはおばあちゃんだった。
ストレスが溜まっているときはおばあちゃんに当たったりしていた。
ほんとにカスだっとおもう。

 

ばあちゃんごめん。辛かったろう。

 

 

 

少年期の自分

そんな僕も中学生になる。
中学の時代は籠の中でいたよ感覚だった。

母に勉強ができるようになれと言われ、母に言われたようにやり、母のために勉強を頑張っていたが結局中学校の中で自分の実力を測ってしまい、良い成績は取れなかった。

それでも部活が楽しかったり、友達と遊んだりと楽しい日々を送っていたと思う。
受験は中三でドロップ。
受かる自信があり、勉強を辞めても高校に受かった。
(もちろんそんな頭の良い高校ではないです。)

そして高校で悲劇が起きる。

 

 

鬱病だった高校時代

自分は理系コースに進学していたのだが、仲の良いクラスメイトが文系コースだったため離れ、友達がいないクラスになり、そしてだんだんと学校が苦痛になっていった。
学校に行く意味がわからず、常にそればっかり考えてた。
そしていつからか学校に行けなくなっていた。
生きている意味が分からず、ずっと狭い狭い家の中で意味を探し続けていた。
考え続けていた。

 

本当にしんどかった。
学校しか世界がないと思っていた自分は、思いつめすぎて完全に鬱状態だった。
ずっと自分はこのままなんじゃないかとさえ思っていた。

 

結局答えは見つからず、高校2年を留年し、一つ年下の子達と授業を受けることになる。
そこでT先生に出会った。

 

T先生は当時30歳と若い先生で、熱血先生だった。
自分に対しては、「前任の先生からは話を伺っている、常に心配している」と言われ、本当に毎日のように「大丈夫か、今のところどんなだ?」と聞いてくれた。

 

また、とてもフランクだったそのクラスの雰囲気は、本当に僕の中で救いだった。
勉強ができないわけじゃない、学校が嫌いなわけでもない、人が嫌いなわけでもない。
けど、やはり学校には行けなかった。
どうしても行く意味を考えてしまう。

 

母は、「学校に行く意味なんて誰も考えてないよ」「頼むから高校を卒業して大学に行ってまともな人生を送って」「育て方が間違っていた。あなた(父)が悪い」と言っていた。
しまいには「産んだのが間違いだった」とも言われた。
それでもやはり学校に行く意味を見いだせないと足が進まなかった。

 

本当に人生が終わったと思っていた。
高校にも通えない人間が社会に出られるはずがない。
死のうと常に思っていた。

 

T先生は常に僕のことを考えてくれており、単位数を考え、このやり方なら行ける。と行き方を提示してくれていた。

 

遅れて行ったり、休んだりしながらなんとか学校に通った。

 

 

しかし、結局単位数は足りなかった。

 

一日足りなかった。

 

あの日、行けるはずだったのに足が本当に前に進まなかった。
自分で考えてみて改めて思うのだが、僕は前に進みたくなかったのだ。

このままの自分でいて、それでも良いと謎の理由をつけて自分を納得させていた。
自己否定の塊だった。

足りなかった一日に関してだが、T先生はカスみたいな僕のために先生一同に毎日頭を下げ続けた。
そして学校の会議で僕のことを話し続けた。
その結果、誠意を見せたら卒業させてくれることとなった。

 

そこから僕は皆は卒業してもういないはずの学校を2週間掃除した。
午前中掃除して、午後から本を読み、その感想や現在の気持ちを書いて校長に届けてもらった。
自分は前向きに生き、卒業してこうなります。みたいな文章。その時の自分に未来の希望などなかったのだが。

 

そして2週間し、T先生と卒業を喜び合った。

T先生は、「お前とは戦友のように感じた。自分にない悩みを抱えていたからこそ絶対に助けたいと思った」ってことばは今も忘れない。

 

 

人生が変わる介護職との出会い

そんなこんなで無事学校を卒業することができるようになった自分は20歳で初仕事に就く。

それが介護の仕事である。

 

ちなみに26歳まで同じ仕事で続いた。
自分でもびっくりである。
3年間の学校が耐えられなかった人間が6年も耐えられるわけないと過去の自分は思っていた。しかし、その職場で僕は変わる。

おばあちゃんを自分のデイサービスに通ってもらったのだ。

小さい時にしてくれたことの些細な恩返しだと思っていたが、やはり家族に見てもらうことでかなり自信につながった。

よーやっとる。と言ってくれた。

また、ばあちゃん本人も最初は外に出ることに抵抗があったがだんだんと慣れてきて、楽しみにしてくれていた。嬉しかった。

常に周りの人に役立つことをしていた。必要とされたかった。必要となるしかなかったのだ。だから人一倍仕事をしたし、役職もついて管理者になり、人一倍長い時間仕事をしていた。24歳でマンションも買い、結婚もした。

 

しかし、仕事に限界が来た。
会社の危機である。

会社自体は売り上げが立っている会社なのに深刻な人手不足に陥っていた。

 

自分のその時の生活は、休憩もせず、一日16時間勤務。

休みなし。
16時間×31日=約500時間。
給料が大体手取り20万円だったので20万÷500時間=400円。

当時の僕は、自給400円、つまり、1時間に400円の価値しかなかったことに気づいた。

時給400円だった時の話~職場などの環境が変わることで人の考え方が変わる~
どうも皆さんこんにちは。 メンタルミニマリストのあさひ@neruneko001と申します。 今回は環境の変化で人は考え方が変わるの?って話です。 結論としては 大きく変わると思っています。 もちろん年齢や環...

 

これではいけないと奮起し、ついに退職を決意する。

 

 

転職し、時間と自由を手に入れる

自分は社畜を辞めることを決断し転職する。

転職先は同じ業種の同じ仕事。

でもなにもかも違った。
会社の方針も、労働時間も、人員配置も。8:00~18:00の拘束時間で休みの時に仕事のことを考えなくても良い会社に勤めながら文章書いたり、好きな趣味に時間を当てる。

ミニマリストがジムを始めたら生活が変わったw
どうも皆さんこんにちは。メンタルミニマリストのあさひ@neruneko001と申します。今回は最近始めたジムについてお話したいと思います!ジムってどんなところ?フィットネスジムは、体を鍛えるところです。ジムによっては専属のコーチが付き、アド
前は「お金」>「時間」だったし、「お金」=人間の価値
だったけど、今は「お金」=「時間」≠「幸せ」だと考えています。
これがいままでの僕の人生です。
最後まで読んでくださった方はたぶんいないと思うけど、そんなすばらしい方がいたら感謝します。
ありがとうございました。

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